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【留学レポート】フォート・ルイス大学   (吉川真央)2015年1月

  こんにちは、吉川です。

年が明けて11日から春学期が始まりましたが、同時に留学生活も残すところ4ヶ月ほどとなりました。今月は、長期休暇を利用して行った旅の様子をお伝えします。

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昨年11月後半のサンクスギビング、10日間ほどの期間が留学生活始まって以来の長期休暇となり、コロラドの州都デンバーと、グラナダという、州の南東に位置する小さな町に向かいました。州都までは車で約6時間かかるため、ルームメイトの運転する車で早朝に出発し、ひたすら走り続けます。出発から1時間ほどでロッキー山脈に入り日本とは違う表情の山肌がそり立つすぐ真横を走り抜け、更に山を超えると延々と続く平地を真っ直ぐに貫く道と、山の中腹あたりまで雪に覆われた壮大な山々が眼前に拡がります。6時間寝る間もなく、見たことも無いような景色を楽しみながら道中を過ごしました。

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デンバーに到着したのは夜の7時ごろ、「西のウォールストリート」と呼ばれる17番街を抱えるにふさわしい近代的なビル群を前方に見ながらに街に入ります。実はコロラド州は、日本人にとって心理的に距離の近い場所ではないかと思います。デンバーに2日滞在した後に立ち寄ったグラナダには、第二次世界大戦中に日系人を収容したアマチ収容所跡がのこされており、デンバー市にはサクラスクエアと呼ばれる日系人が多く住むコミュニティーも存在します。

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サクラスクエアの一角には小さな公園があり、日系アメリカ人を支援した3人の銅像があります。一番右側に位置するのが、かつての州知事、ラルフ・ローレンス・カーでした。「収容所」と聞くと、自然と、劣悪な環境下での過酷な労働等を想像してしまいますが、アマチはアメリカ全土に設けられた11の収容所の中でも収容された人々に特別の配慮がなされた例外的な場所で、その背景には日系人への差別的政策に常に反対していたカーの人道的な思想があったということです。

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デンバーから南へ約4時間走り続けると、上の地図の赤い矢印で示した地域に到達し、これまでとは異なる緑の少ない殺伐とした風景が目につくようになります。かつて日系人の収容所があったグラナダは、全てが乾いたような殺風景な街でした。小さな資料館に立ち寄った後、跡地に向かいます。写真の様に、見渡す限り乾燥した大地が続き、枯草とサボテンに覆われたような水気の感じられない土地で、当時の生活は大変苦しいものだったことが想像できました。

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アメリカ兵が収容者の監視に使った塔と、 タンクを再現したもの以外、何もありませんが、住居や、教会などの基礎部分が当時のままのこっていました。私と同じルーツを共有する彼らが、アメリカ兵の監視の下、生命力の感じられない土地でどういった生活をしていたのか、当時そこに住居があったと思われるスペースの中に入りながら考えましたが、きっと自らのアイデンティティーが納まる場所を失い、自身の存在に常に疑問を抱きながら不安な毎日をおくっていたのではないかと想像しました。

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カーの取り組みにより、アマチに収容された人々は比較的良い環境で暮らすことが出来たという事実を救いとし、土地の様子から想像される過酷な生活のイメージと折り合いをつけながらグラナダを後にした直後、前方に温かな夕日が拡がります。当時の人々も目にしたかもしれないその夕日を車内から目にし、彼らの様々な思いを受け取ったような気持ちにもなりつつ、4日間の旅を終えました。

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今回は思わぬ長編となりましたので、年末冬期休暇の一人旅の様子は、近日またお伝えできればと思います。


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